二十四の瞳

娘へ

娘と沖縄に地震、原発避難で来たのが今年の4月2日。
まもなくして地元の公立中学校に入学。 入学手続きや制服、体操着の準備にと忙しくしている間にあっと言う間に迎えた入学式。君は緊張からか倒れてしまいそのまま保健室。入学式に参加したのは最後の記念写真だけなんとか。12人の生徒に僕は少し感激していました。それはまさに24の瞳がそれぞれ輝いて見えたからです。

沖縄の海に面した中学校。 娘以外はそのまま併設の小学校から上がってきた子供たちです。
どう受け入れてもらえるか、本人もどうとけ込んで行くのか、しかし子供達の様子はそんな心配をみごとに払拭してくれました。本当に来るのを楽しみにしてくれていました。

君は入学式の次の日から同じ地域の近所から通う同級生と遊ぶようになったね。それからバトミントン部に入って今度は朝練に放課後の暗くなるまでの練習。よく遊びよく学んだね。

娘、東京に戻る

6月に入って始めての主夫業に疲れが出ていたのか、ストレスを君の生活態度(自分の身の回りのことは自分でする)をしかる時に同時に吐き出してしまった僕。 いままでもこの時も手は出さなかったけど言葉の暴力と言われれば弁解の余地はない。

そして君は僕と2人での生活は出来ないとママにSOSをだして7月20日の終業式を待たずに帰っていった。
そして秋からは東京の中学校に。沖縄の夏が始まったばかりで君は帰ってしまった。
この夏の暑さが、日差しの強さが僕を逆に落ち込ませる。11人の瞳が思い浮かぶからだ。東京に帰る何日か前から同級生、そして学年を超えた生徒たちからも寄せ書きやプレゼントを貰ってきていたね。

そのすべての関係を断ち切ってしまった父、僕が今は一人で沖縄にいる。本当に申し訳ありませんでした。
君にも直接に謝ったけど、大きな過ちをおかした自分への罰は何だろうと答えのない答えをもとめています。ただひとつあるのは沖縄に建てかけている家を完成させること。来年の夏には家族全員で娘を足した24の瞳をその家に迎え入れることだけが希望です。少しでも償いになれば救いです。そして身勝手ですが、新天地でまた君がたくましく今を生きていってくれればと願うばかりです。これからの長い人生のほんの一コマの一春の出来事だったけど僕にとっては長い夏になりそうです。

君はどうですか、父は大嫌いですか、沖縄の友達とメールのやり取りはしていますか。