政党の集合離散で何が変わったか
私たちは日本新党細川内閣に大きな時代の変革を期待したが、無駄だった。
その後の政党の動きは国民に向けたポーズさえ取ってはいましたが、今日にいたるまで立法府としての機能を果たせないままに推移しているのは、小賢しい経済論を聞くまでもなく、日々の生活の中で私達が実感していることではないでしょうか。
大海の表層は天候に左右され、我々国民は翻弄されます。しかし深海に潜む官僚貴族は何か(事件、事故等)在る度にやけぶとりし、着々と権益、利権、天下り先という巣づくりに余念がありません。
最近は補助金、助成金を支出している団体すべてがターゲットになっています。
大企業は勿論、大学教授までいます。
一体、個人を認めない官僚社会にどっぷり浸かった人達が何を教えるというのでしょうか?いま確実に日本は個性を排除し彼らの評価に値する勤勉さと、従順に行動するマニアル化された若者が増えています。彼らも気ずくと気ずかないに関わらず社会?が求めている入り口、出口に向かうしか選択種が限られています。何か言えば批判と言われるのです。マスコミの影響も大きいでしょう。すぐ相違する意見、あるいは違った視点、方向からの発言、指摘、あるいは新たな提案、創造等に対してすべて○○○○に批判という言葉で一括りにしてしまうのです。批判以外の語彙はなぜ使わないのか。同じものでも違った角度から見ればまた違って見えます。それに対してメディアは議論と検証の場を提供し自らもしっかり取材、論評すべきでしょう。政策能力も統治能力もない議員はお金で議席を買うことしか出来ず、予算を持ってきましたよと官僚に媚びてわずかなおこぼれを貰い(票のために)お国に帰る。明治から変わらないと言われる官僚貴族のシステムに楔を打つと言った(僕も期待していた1人でしたが)みんなの党もどうやら既成政党と変わりがなかったことになりそうですね。残念です。