議論の余地はありません。
常に高みへの挑戦、自己との格闘と弛まないトレーニングを自らに課しているスポーツ選手、そして記録は塗り替えられる。一方任期を何期重ねても行政(議会)に対していつも同じような視点、論点からほとんど進まない議論。そして深みのない質問、討議を繰り返すばかり。一向に進化も深化もしない議員。国会から地方議会まで同じ構図が蔓延している。就職議員のため議員になったとたん役所との共同歩調をとり行政のチエック機関としての仕事を放棄しています。
なぜ議会があるのか
民主主義のはじまりと同時に議会が設けられたのは民主主義そのものの危うさからです。
常に独裁、片方に迎合、また官僚の独走などをコントロールする絶妙なバランスで機能させていかなければなりません。その機能を託されているのが議会です。欧米型危機管理ともいえます。何かが起こってからの危機管理ではなくすべての想定の上に議会が危機管理をする。理想ではありますがとにかくそこを目指さない議会に存在価値はありません。
有権者の投票行動
有権者の多くも自分の業界、団体、組織、地域に利益をもたらしてくれる人ならウエルカム、納税者意識はほとんどない。就職議員をなくす対策が必要です。
一番効果があるのは報酬の大幅な引き下げです。
と同時に議会のあり方もセットで新しい制度(誰でも参加できる)を構築する必要があります。
山口県知事選
飯田さん、残念でした。
今また官僚天下りポストのようになっている知事に自公推薦の官僚候補者が当選してしまうのですね。
国、官僚、の植民地化していくこの国の統治。3.11で何かが変わっていくのだろうか。